株式会社エマリコくにたち

拝啓、うまい!に背景あり

社長のBLOG

2019.12.28

畑での作物廃棄は「フードロス」なのか

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拝啓 東京農業を応援いただいている皆様

SDGsの流れもあってか、フードロスについてのニュースや評論が多くなっているように感じます。

あらかじめ申し上げておくと、飲食店のフードロスは私も一介の経営者として関心を持っています。たとえば、飲食店が廃棄してしまうものをシェアする仕組みを作ったTABETEさんには注目しています。(ご参考=https://tabete.me/
また、フードバンクの取り組みのために、国立市内の倉庫を紹介したことなどもあります。
SDGsを持ち出すまでもなく、「ごはん粒まで食べなさい」という古くから行われてきた教育、こういうのはほんとうに大事だなと思います。

と、フードロス対策は大事だと思ってますよ!、というアピールをしたのは、これから逆のことを書こうと思っているからです笑。
すなわち、畑のなかの「ロス」についてです。

畑において、出荷されなかった作物、これもフードロスと考える人もかなりいるようです。
しかし、畑のなかの作物を捨てることまでフードロスと考えてしまうと、かなりの社会的なダメージがあります。そこまで、環境活動家や評論家の皆さんの思いが至っていないようなので、かなり心配です。

そもそも野菜は自然からの授かりものですから、焼却処理ではなく、自然に戻せば環境的にさして問題がないように思います。もっとも、焼却処理をする場合はあるので、その環境上の対策は考えなくてはなりませんが。

さて、野菜は加工食品(お菓子とかお酒とか調味料)と根本的に違う性格の商品です。
そのわけは、(1)保存がきかない、(2)生産量が予め計算できない、という課題をもともと抱えているからです。保存ができず生産量が読めないので、多めに作るということもよく起きます。
たとえば恵方巻メーカーが作りすぎて食べ物を捨てるということは、フードロスの観点から批判されることもあるのでしょうが、これは需要量が読めないパターンです。野菜では需要量も読めないですが、それ以前に自分の生産量が読めないわけです。この違いはものすごく大きいです。
農家が自身の経営リスクを減じる意味でも、私たちが飢えないためにも、多めに作ることは必要です。

ということで、野菜というものは生産量が読めないので、天候が順調だったときには、供給が過多になってしまいます。そういうマーケットに、さらにC品を投入するということはどういうことなのか。
現在、小松菜一束が20円などというハテナな価格がつくことのあるマーケットに、さらに供給量を増やすことは、明らかに持続可能な社会とはいえないわけです。

さらにいえば、日本の人口は減少する、つまり胃袋が減るので、今後農産物の価格が上がる見込みはかなり低いと言わざるをえません。(これは経済の初歩理論です。)
ましてC品を供給したからといって自給率があがるということはありません。

しかして、ここで国民としての分かれ道になるのですが、需要にあわせた生産をすればフードロスは起きにくいわけです。
そうすると、キノコや豆苗はすでにそのようになっていますが、行きつくところは工場的な生産、安定的な生産をすべきということになります。
工場的な生産が国民の選択ならば、それも仕方ないように思います。
でも、そもそもSDGsってそういうことなんですか?、ということを問いたい。

農的な食育環境、ノスタルジーをもたらすような里山の景観、そういうものは持続可能な社会として大事なものではないでしょうか。
そうして畑がなくなっていった数十年後、私たちはフードロスではなくて畑ロスに苦しむように思います。

いずれにしても、環境活動家や評論家のみなさんには、農業の現場とかマーケットのことを理解してから発言してほしいなあ、そう考えています。

菱沼 勇介(ひしぬま ゆうすけ)
プロフィール

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株式会社エマリコくにたち代表取締役。
1982年12月27日生まれ。
農地のない街・神奈川県逗子市に育つ。
一橋大在学中に、国立市にて空き店舗を活かした商店街活性化活動に携わる。2005年に一橋大商学部卒業後、三井不動産、アビーム・コンサルティングを経て、国立に戻る。NPO法人地域自給くにたちの事務局長に就任し、「まちなか農業」と出会う。2011年、株式会社エマリコくにたちを創業。国立市商工会理事。東京都オリジナル品種普及対策検討会委員(2019年度)。

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