株式会社エマリコくにたち

拝啓、うまい!に背景あり

社長のBLOG

2017.07.10

コト消費の経済に想う

拝啓 東京農業を応援いただいている皆様

稲盛和夫氏は、京セラを立ち上げた直後、いろいろな事件があって、それを経て次のような理念を掲げたそうです。

「全従業員の物心両面の幸福を追求する。(以下略)」

このなかで、「物」=「モノ」の面での幸福を追求するというところに、私なんかは引っ掛かりを覚えるわけです。
モノが人を幸せにするのか?という疑問です。
ここに引っ掛かりを覚えるのは、世代のせいではないか?とも思います。

はっきり言えば、私たち以下の世代は、「モノによる幸福の追求」をあまり求めません。
なぜかといえば、月並みな分析ですが、ひとつにはモノ重視の経済が限界なんだなあ、とバブル崩壊後の経済環境で思っていることと(それが直観として正しいかは別問題)、モノの大量消費は大量廃棄につながるなど環境負荷が大きいこと、そして最後に、すでに十分に便利で快適なモノに囲まれているからでしょう。
テレビが家庭に登場するインパクトに比べれば、テレビがフラットになるインパクトは「まあ、そうならないよりいいかな」くらいなものです。

「コト消費」という言葉がマーケティング業界でよく言われるのも、若者がモノそのものを買わないということでしょう。
私も、自動車を運転するのは好きですが、ことさらに所有したいとは思いません。

農業の世界で言えば、一度は淘汰された伝統野菜が復活してきているのも、栄養源としての野菜=モノ=ではなく、「コト消費としての野菜」がある方面では求められているからです。

「モノの発展はともすると重要でない」という感覚は、バブル崩壊の前世代と後世代で、確実な断層があるように思います。(バブル崩壊でなくて、オイルショックかもしれません。)

ですが、我々「コト消費世代」がはたと立ち止まって考えるべきことは、「モノの発展は不必要なのか?」ということです。人間社会の物質的な発展がここまで極まってしまうと、モノの発達は人を幸福にしない、という命題は正しいのか。

モノが私たちを幸せにしていることは、見えにくくなっていると思います。
今日、とある自動販売機メーカーさんのショールームに行ったのですが、カップ型コーヒー自販機のなかでは複雑な機械がめまぐるしく動いている。ちょっとした工場が内蔵されている感覚です。そうして、挽きたての豆で、しっかり蒸らし工程を入れた美味しいコーヒーが出て来るのです。しかも色々な種類の豆を選べる。ということで、一級品のコーヒーをハイウェイのPAで飲めるわけです。しかし、自販機の中は消費者は見ることができないわけです。

現代でも、着実に、モノの発展は幸福を作っているのですが、この自動販売機のようにはっきりと見えないパターンが多くなっているように思います。でも、その技術がPAで長距離ドライバーの心を癒していることは誰も否定できないわけです。

そして、これは私の直観ですが、モノの発展とコトの発展、どちらが幸福を多く作っているかと言えば、いまだに圧倒的に「モノ」の方ではないでしょうか。そんな統計どこにもないのですが、そんな風に思います。

ともするとモノ消費を軽く見すぎてしまい、それが我々世代の若い起業家にとって社業を発展させる際の障害になってすらいるように感じているのです。

「背景流通業」を事業領域に掲げるエマリコくにたちは、商品の持つ背景を届けるという観点では、まぎれもなく「コト消費」を推奨する会社です。

しかし、そのバランスは、実は8割がたが「美味しい商品」の物理的存在にあって、残りの2割ほどが「コト」なのです。

この序列は、めちゃくちゃ重要であり、当社が「地に足が付いている」と言われる理由でもあります。

話が抽象論のドロ沼に入り込みそうなので、今回はこのあたりで。

菱沼 勇介(ひしぬま ゆうすけ)
プロフィール

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株式会社エマリコくにたち代表取締役。
1982年12月27日生まれ。
農地のない街・神奈川県逗子市に育つ。
一橋大在学中に、国立市にて空き店舗を活かした商店街活性化活動に携わる。2005年に一橋大商学部卒業後、三井不動産、アビーム・コンサルティングを経て、国立に戻る。NPO法人地域自給くにたちの事務局長に就任し、「まちなか農業」と出会う。2011年、株式会社エマリコくにたちを創業。第3次国立市農業振興計画審議会委員(2016年)。

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